2020東京オリンピック・パラリンピックを控え、前回の1964東京五輪とその時代を振り返る報道写真展「熱気・五輪・1964」を企画しました。川本さんのように当時を体験している世代は60代以上になりますが、若い世代にもぜひこの機会に当時の熱気を“体験”してもらいたいと思います。
2020東京オリンピック・パラリンピックを控え、前回の1964東京五輪とその時代を振り返る報道写真展「熱気・五輪・1964」を企画しました。川本さんのように当時を体験している世代は60代以上になりますが、若い世代にもぜひこの機会に当時の熱気を“体験”してもらいたいと思います。
個人的な話になるが、この年(1958年)、私は中学2年生。杉並区の阿佐谷の自宅から港区にある学校まで、中央線、都電を利用して通っていた。中央線の電車が千駄ケ谷駅から信濃町駅に向かうにつれ、車窓に建設中の競技場が見えてくる。やはり建設中の東京タワーと完成を競い合っているようだった。
中学校の校舎の屋上からは、ほぼ目の前に建設中の東京タワーが見え、その年の暮れ、12月23日に完成した時は「世界一の塔」であることがうれしかった。
昭和19年生まれの人間の小学校時代は、日本の社会はまだ戦後の混乱期にあり、市井の家庭の暮しはおおむね貧しかった。
どうにか社会に落ち着きが見えてくるのは、昭和30年代に入ってからだろう。昭和33年に完成した東京タワーと国立競技場は、戦後の貧しい時代が終わり、これからは豊かな時代になるという希望の象徴になった。
~図録所収の川本三郎氏エッセー
「東京オリンピックがあった頃」より