通信社の歴史と同盟通信社
通信社は、情報を収集するが、自らは発信媒体(メディア)を持たず、新聞社や放送局、ウェブのニュースサイトなどに記事、データ、写真、映像などのニュースコンテンツを配信する組織であり、日本では一般社団法人共同通信社と株式会社時事通信社の2社が代表的な通信社である。
海外では米国のAP通信社、かつてはロンドンに本拠を置き、現在はニューヨークに本社を構えるトムソン・ロイター、フランス通信社(AFP)、ドイツ通信社(DPA)、ロシアのタス通信社などが世界的にも知られる通信社である。こうした著名な通信社以外にも世界各国ではそれぞれの国を基盤とする通信社が活動している。
合理化の産物
なぜ通信社という組織が存在するのだろうか。ニュース取材合理化の産物である。AP設立の母体となったニューヨークAPが生まれた1820年代の米国新聞界の状況を例にとるのが分かりやすいだろう。
当時の米国人は欧州の出来事に強い関心を持っていた。しかし、大西洋を横断する電信ケーブルはまだ敷設されていない。ケーブルが開通したのは1866年。ケーブル開通前に欧州大陸から米国に新しい情報をもたらすのは、欧州航路の船とその乗客であった。
そこでボストンやニューヨークの新聞社は、沖合の船に記者を送り込み、乗客や乗組員から欧州の最新ニュースを取材、船に積んである欧州の最新の新聞を入手、内容をそれぞれの新聞で伝えた。最新の欧州情報を掲載した新聞は多くの読者を獲得した。
取材競争は次第にエスカレートし、欧州航路の船が米国大陸で最初に寄港するカナダのハリファックスまで各社は記者を派遣するようになった。乗客から聞き出した情報を各社は蒸気船や当時の早馬郵便サービスである「ポニーエクスプレス」、伝書鳩などを使ってニューヨークやボストンの本社まで届けた。
1840年代には電信技術が登場、記事は最寄りの電報局まで届ければよくなったが、電信の送信能力は弱く、大量の記事は送信できない。電報局に一番乗りした記者だけが新聞の締め切りに間に合うよう記事を送ることができ、他の記者は締め切りに間に合わなかった。
こうした事態を何とかしたいとニューヨークの新聞発行者5人が協議した結果、記事を共有し、ポニーエクスプレスや電信の経費を分担しようという合意が成立、「ニューヨークAP」という通信社組織が生まれた。
共同通信社、時事通信社、APなどは巨大な組織になったが、本質的な機能は現在も変わっていない。取材経費を分担し、記事やデータ、写真、映像などを共有することにより、新聞社や放送局などのメディアは自社で取材するのに比べ少ない費用でコンテンツを調達でき、報道内容を充実できる。
情報を配信する通信社サービスに近似した活動は12、13世紀のベニスでも行われていた。貿易国家ベニスの商人は貿易の副業として中東やアフリカ情報を欧州各地の顧客に販売していた。
アバス誕生
近代的な通信社はハンガリー系のフランス人シャルル・アバスが1835年、パリにアバス通信社を設立したのが始まりと言われている。アバスは相場通信業務に乗り出し、速報には伝書鳩や馬車便を使った。1845年に電信線が開通するとこれを利用して新聞社に記事を送るようになった。アバスは第2次大戦中の1940年、フランスの対ドイツ降伏で消滅、1944年、AFPとして再発足した。
ユダヤ系ドイツ人、ユリウス・ロイターが1849年にアーヘンで経済通信業務を開始し、1851年、ロンドンに本拠を移したのがロイター通信社だ。ロイターはその後、世界に取材網を張り巡らせ、今もトムソン・ロイターとして活動している。
日本では江戸初期の1662年(寛文2年)に誕生した民間の書状運送業「三度飛脚問屋」が通信社業務を担った。江戸と京阪の飛脚商がニュース交換協定を結び、運送業の傍らニュースを交換、配信を受けた本屋が半紙版の瓦版を作り辻売りしたという。
近代的通信社は新聞の普及とともに発達した。日本最初の日本語新聞は1862年(文久2年)、幕府の蕃書調所が発行した「官板バタヒヤ新聞」。播州の避難漂流民で米国に帰化したジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)が幕末に発行した「海外新聞」が日本初の民間新聞とされている。1871年(明治4年)には初の日刊日本語紙「横浜毎日新聞」が創刊され、その後は「東京日日新聞」(東京毎日の前身)など新聞は全国に続々誕生した。
こうした新聞社にニュースを提供する通信社も明治初期に登場、1880年代には日本国内だけで200社にも達したという。多くは零細企業で、社会的に信用された通信社は明治期には10社ほどだった。その1社で日本の近代通信社の第1号といわれるのが時事通信社だ。現在の時事通信社とは無関係で、1888年(明治21年)、三井合名会社の主宰者増田孝が出資して設立された。全国の新聞社60社が記事を受信したが、経営不振により3年で休業した。
その後、東京通信社、帝国通信社、日本電報通信社などが登場。日本電報通信社は、熊本出身の新聞記者、光永星郎が1906年(明治39年)に設立した通信社で、現在の広告代理店「電通」の前身にあたる。
電通と聯合を統合し同盟に
1926年(大正15年)に日本新聞聯合社(聯合)が誕生すると、電通と聯合は激しく競争するようになった。1931年(昭和6年)9月18日に発生した満州事変の発生を伝えた電通の一報は、事変発生後わずか4時間で入電し大スクープとなった。
両通信社が激烈な取材競争をした結果、両社ともに経費が膨れ上がり、報道内容にも食い違いが生じた。このため政府部内や新聞界で両社を統合しようという機運が高まり、1936年(昭和11年)1月、同盟通信社が発足した。同年6月には電通が通信社事業を同盟に引き渡し、代わりに同盟の広告事業を電通が引き継ぎ、国内の通信社は同盟の1社体制が名実ともにスタートした。
同盟発足時の職員数は1212人。日中戦争が勃発し、日本が戦時体制に突き進むとともに同盟の活動区域も広がり、1945年(昭和20年)時点で国内には東京本社と6支社、62支局、国外には中国・中華総社(南京)の下に3総局23支局、アジアは南方総社(昭南=シンガポール)の下に7支社23支局を持ち、職員数は国内外合わせて約5500人に達した。同盟は社団法人組織で、加盟新聞社が負担する社費が収入の中心だったが、政府から助成金も受けていた。
国内の新聞社に記事や写真を配信するだけではなく、映画館用に「ニュース映画」も製作、南方の日本軍占領地では新聞も発行した。日本に関するニュースと日本の主張を英語、フランス語、スペイン語、中国語で毎日、短波無線で発信していた。当時はNHKも海外放送を担っていたが、NHKが放送したニュースはすべて同盟が作成した記事だった。同盟の対外発信は世界に向けて伝えられた事実上唯一の日本の声だったため、連合軍は日本政府の対外宣伝を担った同盟を敵視していた。
戦争中、同盟国や中立国を除き、海外との通信連絡は遮断されたが、同盟は連合軍側の通信社電やラジオニュースなどを傍受する業務にもあたり、ソ連の対日宣戦布告を伝えるロイター電もキャッチしていた。
敗戦後、同盟は連合軍総司令部(GHQ)から海外向け外国語放送の業務停止命令を受け、事前検閲も開始された。こうした状況を踏まえて同盟は役員会で解散を決議、1945年10月31日、解散した。通信社業務は翌11月1日に発足した社団法人共同通信社と株式会社時事通信社に引き継がれた。
関連年表
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- 1835年(天保6年)
- フランス人シャルル・アバスがパリにアバス通信社設立
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- 1848年(嘉永元年)
- ニューヨークの新聞社6社が「ニューヨーク港ニュース組合」(Harbour News Association)結成
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- 1849年(嘉永2年)
- ドイツ人ユリウス・ロイターがドイツのアーヘンで経済通信業務を開始
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- 1851年(寛永4年)
- ロンドンにロイター通信社創立
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- 1857年(安政4年)
- 米国の「ニューヨーク港ニュース組合」が「ニューヨークAP」
(New York Associated Press)に改組
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- 1861年(文久元年)
- 英国人A・W・ハンサードが長崎で日本初の近代的新聞
「Nagasaki Shipping List and Advertiser」(英字紙)発刊
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- 1862年(文久2年)
- 幕府の蕃書調所が日本初の日本語新聞「官板バタヒヤ新聞」発刊
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- 1888年(明治21年)
- わが国初の近代的な通信社「時事通信社」創立
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- 1890年(明治23年)
- 「東京通信社」創立
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- 1892年(明治25年)
- 「帝国通信社」創立
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- 1901年(明治34年)
- 新聞記者光永星郎により「日本広告株式会社」および「電報通信社」(現在の広告代理店「電通」)創立
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- 1903年(明治36年)
- 「独立通信社」創立
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- 1907年(明治40年)
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- ・「東洋通信社」創立
- ・米国にUP通信社(United Press Association)創立
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- 1914年(大正3年)
- 「国際通信社」創立。上海に「東方通信社」創立
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- 1926年(大正15年)
- 「国際」と「東方」が合併、「日本新聞聯合社」発足(後に「新聞聯合社」と改称)
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- 1936年(昭和11年)
- 新聞聯合社解散を受け、社団法人同盟通信社発足。準戦時下の通信統合で同盟通信社の広告事業部門を日本電報通信社が引き継ぎ、電通の通信事業部門を同盟が引き継ぐ
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- 1945年(昭和20年)
- 同盟通信社が自主解散
社団法人共同通信社設立。全国の新聞社、NHKが参加。株式会社時事通信社設立。
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共同通信社本社(東京・汐留)
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時事通信社本社(東京・東銀座)
(参考文献)
- 「通信社史」(通信社史刊行会、1958年12月5日発行)
- 「共同通信社50年史」(共同通信社、1996年5月31日発行)
- 「挑戦する世界の通信社」(新聞通信調査会、2017年3月25日)